「信じる」の定義

人は、波動や気功など目に見えないものや計測できないものを信じられません。

 

 

人は、既知の情報と合致するものを理解し、理解したことを『信じる』のですが、自分が理解できないことは『信じない』ようです。

 

未知の情報でも、以下のケースでは『信じる』場合があります。

  • 信頼している人物からの情報
  • 大多数が信じている情報

ここで言う信頼とは権威を含みます。

自分よりも知識がある人の情報は、自分の判断よりも信頼できると思うのです。

アリストテレスが、地球を中心に太陽などの天体が動いている天動説を唱えれば、それが正しいと信じられていたのです。

 

つまり人は、もっとも知識があると思われている人の発言を信じるのです。

 

しかしここでひとつ疑問が湧きます。

私たちが存在しているこの宇宙に関してもっとも知識がある科学者たちは、この宇宙のことをどれくらい解明し、理解しているのか?

 

TEDのスピーカーがジョークまじりに、こんなことを言っていました。

「皆さん覚えておいてください。科学者が『ダーク』と言う時、それは『よくわからない』という意味です。」

 

つまり、ダークマターやダークエネルギーというのは未解明という意味です。

 

人類最高の宇宙科学者による宇宙の解説は以下のとおりです。

65%・・・ダークエネルギー

27%・・・ダークマター

5%・・・・物質

 

・・・ほとんどダークじゃん。

 

 

宇宙のことで理解できているのはたった5%で、残りの95%は理解出来ていないのです。

5%しかわかっていない人の言うことは、果たして正しいのでしょうか?

ひょっとしたら、何の根拠も科学的証明もできないけど、なんとなくそんな気がする〜とか言っている人の言うことが事実だったりする可能性も否定出来ないですよね。

いや、むしろ95%もわかってないんだったら、直感の方が当たるような気がする。

 

 

ひとつ、当たり前ですがとっても大切なことを言います。

 

新しい発見は、既に知っている知識の中には無い。

 

理解できないからといって、『信じない』でいると、真実を発見できなくなります。

先に紹介した天動説のように。

 

近年、気功は市民権を得ました。ほんの20年前までは賛否両論でした。未だ計測器は発明されていませんが、感覚的と実績から認められつつあるといったところでしょうか。

波動である念の力も、計測はできません。しかし、私たちの体や空間は、宇宙全体を構成しているのと同じ素粒子です。そして、思考や祈り、想像力も。

 

昔の家電製品は、調子が悪い時、たたくと直ったものです。

世界中にある「いたいのいたいのとんでけ〜」的なヒーリングも効果があるから行われていたはずです。決してプラシーボ効果だけではないのです。

いや。むしろ、薬による治療も暗示による手当も、どちらもプラシーボなのではないでしょうか。

祈りの力が無力だとすれば、これだけ宗教が支持されるのでしょうか。

 

科学的根拠。それは、宇宙の5%のことを言います。

象の姿の5%だけをみて、象の全体像をみることはできないぞう

 

 

大変失礼しました。

 

 

最後に香山リカさんの著書の中で、科学的であろうとするジャーナリストのメアリー・ローチの言葉を紹介します。

もしかすると、私は、知っていると信じるを混同しているかもしれない。私が信じるという時、それは知っているという意味だ。しかし、本来、信じるとは、もっと微妙なものかもしれない。知識というより気持ち。知らないで信じることはできるだろうか。地球が丸いことや空が青いことと同じように、神がいることはわかるという人は多い。そういうひとは、知らないでも信じる。証拠は必要ない。必要なのは気持ちだけだ。だって、信じたほうが楽しいし、希望が持てるから。「スピリチュアルにハマる人、ハマらない人」より

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